聖書と資本主義

私もいい歳になってきて、ビジネスモデルのこととか色々考えたり
する事が多いのですが、ふと思うと聖書の格言とかたとえ話が
しっくり来ることが多いようです。今から2000年も前ですから、
規制とかも何もない時代、資本が資本を呼ぶ時代ですから無理もない。
正直言って資本主義の原点がここにある気がします。
こないだコンプラの担当者が利益相反の説明のときに
「誰も二人の主人に仕えることは出来ません」とか言い出したので
そういえば、聖書に出てくる話って仕事に使えること多いなあと
ふと思ったわけです。私が実践しているのは
「小さな事に忠実なものは大きな事にも忠実であり」⇒まずは小さな仕事から
部下に任せてみてその出来栄えを見て大きな仕事を任せるかどうか決める。
「持っているものは更に与えられ持たないものは持っている物まで取り上げられる」
⇒目標を達成すると更に大きな権限と目標が与えられるが、達成しないと持っている
権限さえ取り上げられたり縮小されたりする⇒もっと頑張んなきゃ。
いずれもマタイ25章(だったと思う…もう20年以上前に読んだんで忘れた)。
一番好きなのがタラントのたとえ話。英語の「タレント」の語源もこれだそうで。
さすがに全部覚えてないので他所のウェブから無断抜粋。

天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、
もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。ところが、一タラント
預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。
『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに
五タラントもうけました。』その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実な
しもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を
任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、
ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に
忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、
蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。
さあどうぞ、これがあなたの物です。』
ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から
刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。だったら、おまえは
その私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、
利息がついて返してもらえたのだ。だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを
十タラント持っている者にやりなさい。』
だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも
取り上げられるのです。
役に立たぬしもべは外の暗やみに追い出しなさい。
そこで泣いて歯ぎしりするのです。

因みに解説ページを見ると、5タラント、今の日本円で1億5千万だそうです。
結構部下にえらいVARリスクリミットあげてるな…っていうか、まだこの時点で俺部下
だな、主人のキモチになるの10年早いわ。